
700年も続いた武家政治に終わりを告げ、迎えたのは明治時代です。
文明開化の波のもと、日本にも西洋の文化が入ってくる様になりました。
都心部には鉄道が走り、道路にはガス灯がともり、食事も肉を喰らい、今まで見向きもしなかった牛乳を飲む様になりました。
まさに旧来の生活様式から一変したのでした。
人々は散切りと言ってちょんまげを切り、着物を捨て洋服を着る様になりました。
と言っても、農村部等の田舎ではまだまだそれらの文化は伝わってきていなかったそうで、それらを見た人々は文字通り腰を抜かしたそうです(笑)
江戸時代には活字文化が衰退していましたが、新聞や雑誌が出版され、言語活動が活発になっていました。
そんな明治時代の風俗事情について調べてみました。
元々当時の日本人は「裸体」に対して恥ずかしい等の感情が希薄だったそうです(当然、全員ではない)。
赤ちゃんにはおっぱいを、着物がキツイ時には胸をはだけさせ、男性も暑い時には着物を解き、下半身が見えても特段気にしない感じだったそうです。
そもそも公衆浴場も男女混浴だったそうですし。
それらを見た、黒船に乗ってやってきたペルリ(ペリーです)に随行していた宣教師達は驚愕!
「なんと清らかな素朴さだろう!初めて公衆浴場の前を通り、3、40人の全裸の男女を目にした時、わたしはこう叫んだものである。
わたしの時計の鎖に付いている大きな奇妙な形の紅珊瑚の飾りを見ようと、彼らが浴場を飛び出して来た。
誰かにとやかく言われる心配もせず、しかもどんな礼儀作法にも触れることなく、
彼らは衣服を身に着けていないことに何の恥らいも感じていない。その清らかな素朴さよ!」
とシュリーマン旅行記にも記されています。
その反応に日本政府は鋭く反応。
なにより、日本を「野蛮」と捉えられる事を嫌った政府(東京都のみとも言われています)は、1872年明治5年に裸禁止令を発令しています。
(正式名称は違式?違条例、いしきかいいじょうれい)。
更に「混浴禁止令」を明治2年、5年、8年と禁止通達を出し、最終的には1900年、明治33年に混浴出来るのは12才までと上限を定めました。
(今の12才は成長してるだろうし、絶対ムリでしょうw)
元々当時の日本は薪の入手が難しく、どんな金持ちの家屋にも風呂がなかったそうです。
全身湯船に入れるのも江戸後期からだったそうです(温泉地は別)。
貴重な薪の為にも、入浴は男女一緒に行うのが当たり前だったそうですから、ある意味仕方ない事情もあったみたいです。
更に外国人が驚愕したのは日本の国技でもある「相撲」にも及びます。
しかし当時の相撲は国技ではありませんでした。
この相撲にも裸禁止令に違反しているとして、力士たちには罰金や鞭打ち刑に処されました(この件に関して異論を唱える人もいます)
なんて事を!!(驚)
この問題を解決したのが、かの明治天皇と伊藤博文たちでした。
1884年明治17年に浜離宮で「天覧相撲」が実現。
最後の結びの大一番!!その後に語り継がれる名勝負だったそうです。
こうして大相撲の危機を乗り切ることができました。
更にその後、東京相撲協会と大阪相撲協会ができ、組織としての形態が確立し現在に至る訳です。
あれから日本は根強い白人(西洋)コンプレックスに抱きながら生きています。
国際社会で戦う為、近代化の波は避けようがありませんでした。
裸は確かにダメだと思います。
でも、元来日本国民が大切にしていた思いやりの心までも希薄になってしまったのは、悲しい事です。
西洋スタイルやカルチャーは確かにかっこよいです。
日本の文化や考え方がダサい!と思っている若者!
もっと日本知って下さい!
歴史を遡って色々と調べてみると、日本と言う国をもっともっと好きになれるかもしれませんよ。
最近、更新した記事一覧です
人妻とやりたいなら!平日の昼間のSNSは主婦に会える!
深夜に待ち合わせたセックス依存症の女を激写!
おまんこしたい!人妻の探し方を紹介
おまんこしたい!女性がヤりたい時の行動を探ってセックスする方法など解説してます。